あれから一年
1人でも前を向く覚悟

妻と娘を亡くして一年。


前を向いて生きていくと覚悟を決めても
いくら平常心を装っても
あの日、あの時間が近くなってくると胸が苦しい。


今はとても孤独だ。
この一年、家の中でまともに言葉を発していない。


まぁ、1人暮らしの生活なんてそんなものか。


ただ、僕の場合
じいちゃん、ばあちゃんはもういない
父と母もいない
兄弟もいない、妻と娘ももういない。


なので家で話す

ただいま、おかえり
おやすみ、おはよう
いただきます、ごちそうさま
いってきます、いってらっしゃい
ごめんなさい、ありがとう


これらはもう言葉にしないのかもしれない。


家の中でそういう言葉を交わす。
というのが家族なのだと思う。






2020年夏。
この先どうしようか考えていた。



その時期は三浦春馬さんなど著名人が自殺したというニュースが多く飛び込んでいた。


夏はそういう考えになることが多いらしい。
心配になってかLINEをくれた仲間がいた。



ブログやSNSは放置していたし、連絡も返せなかった時もあるから
心配してくれていたのだろう。



大丈夫だ。
と返信する。


大丈夫だと言い聞かせる。


一体なにが大丈夫なのか。
不安になった。




ふと、ブログになにか書いてみようかと
パソコンの前に座り、書き終えたものを見返すと
なにか遺書じみた文にも見えた。


そんなつもりはなくても。


夏頃まで全然眠れなくて、食べれなくて
毎日泣いていた。


給付金がどうとか、仕事がないとか
ニュースになっていたが
お金は未来を繋ぐ者たちに必要なもので
明日を迎える気持ちがない者に必要ではない。



死んだようにただ生きるのは
気持ちが持たずに歩くのを止めてしまう。


では、どうすればよいのか。
この先。



意味だ。



意味を持って未来を進む。
これが必要だ。



僕が仕事にしている音楽パフォーマー業は
学校や幼稚園など子ども達に向けて演奏することがある。


無事に生まれてきた子ども達に
なにか一つの新しい文化を見せることは
意味のあることだ。


職種は違えど、妻も音楽の楽しさを伝える仕事をしていた。
妻の想いも形を変えて伝えることが僕にはできる。



僕のしているワンマンバンドは世界でも珍しく、代わりがあまりいない。
なので僕がやり続けることに意味がある。


これだ。


仕事復帰しよう。
この方が妻と娘もきっと喜ぶはずだ。


意味を持って未来に進む理由になる。

なので、うだうだブログに妻と娘のこと書くより
さらっと仕事復帰しましたと報告するのがいいだろう。


それが、一番心配かけないし
自分も前に進もうという気持ちになる。



そんなことも思って
秋頃から淡々と復帰し、ショーの様子などブログに書き、続けている。


あいにく、コロナの波に左右されやすい職種なため、上手く走り続けてはいないが
それはみんな同じ状況だ。


演奏できる身体、環境を整え、
対面だけでなく動画などで音楽を伝えることも視野に入れて動いている。


ひとまず覚悟は決まり、自分の中での決意表明はした。





2021年
キッザニアや幼稚園で子ども達の前でパフォーマンスをした。


大丈夫だ。
気持ちを安定してちゃんとできたし
これからもできる。


子ども達の頭の片隅に
楽器いっぱい演奏して歩き回って人いたなぁと思ってくれたらいい。


その中の1人でもどこかでふと思い出して、何かの将来の刺激になってくれたらいい。


万が一くらいの確率だろうと
何か一つのきっかけになれば
それは価値がある。


それだけでも僕は未来を生きる意味を持つことになる。





妻と一緒に時間をかけて
今のワンマンバンドの形になった。


背負うのは僕だ。


この一年で孤独と向き合う覚悟を決めた。
もう何も知らない一年ではない。
ここから先は知ってる一年の繰り返しだ。
下ばかり見てる暇はない。


死んだようには生きない。
明るく未来を歩く。


意味を持たせるのは自分次第。
前を見て。


2021.03.29

8 comments on “あれから一年
1人でも前を向く覚悟
  1. maiko より:

    油井さん、お久しぶりです。幼稚園でのパフォーマンスの写真見たりしてお元気かな?と心配してました。無理しないでくださいね?無理すると心が悲鳴をあげてしまいような気がして、、、
    でも、パフォーマンスがみたい、、、
    すごワガママな事言っている自分がいて、、、
    私も、3年と半年たちましたが、まだまだです
    油井さんには、頼れる仲間がいらっしゃいますし、
    ユルユルでいいので、前に歩いていきましょう

  2. トミザワサトミ より:

    油井さん、心から応援しています。
    色んなひとのたくさんの想いが孤独の世界から油井さんを連れ出してくれますように。
    皆で、一緒に歩きましょう、明るく未来を。
    意味を持って。

    心から、心から、応援しています。

  3. Fukuhara より:

    油井さん、ブログ書いてくださってありがとうございます!
    油井さんの気持ちは油井さんにしか分かりませんが、油井さんが奥様と娘さんを深く愛しておられることは伝わってきました。
    そして、音楽をとても愛しておられることも。
    油井さんのブログを読んで力をもらいました。
    また良かったらYou Tubeで新しい曲をアップしてください!

  4. みゆ より:

    はじめまして。
    昨年11月早期胎盤剥離で出産しました。
    母子ともに危険な状態でしたが、なんとか産まれることができ、娘もNICUに1ヶ月いて無事退院しました。
    ですが、2週間前、夫が事故に遭いました。どうやって前を向いていいかわからずこのブログにたどり着きました。
    私も仕事復帰してみようと思います。

  5. はな より:

    油井さんのライブ待ち遠しいです!対面が難しければ、YouTubeでの配信とかやっていただけたら、嬉しいです(^o^)

  6. 陽斗 より:

    初めまして。
    私も去年の一月に2歳の息子を突然死で失い、どうしていいのか分からず毎日ネットでの検索魔になっていた時に、油井さんにたどり着きました。
    その後どうしてるかな、どういう気持ちでいるのかな、と時折思い出してはブログを覗き、あぁ、活動再開されたんだな、奥様と娘さんの事を綴らないのは色んな気持ちを胸に抱いているのだろうな、と思って拝見しておりました。

    私も、最初の一年はただただ眠れず食べられず寝ても醒めてもその事ばかりでとても辛い思いをしました。
    一年半経った今、ようやく、少しずつですが周りと関わりを持ちつつあります。

    油井さんの活動は、私の希望の光でもあります。
    死別の悲しみは、本当の所は経験者しか分からないかもしれません。
    この一年、優しい人の優しい言葉から、沢山傷付きました。
    それでも周りからの協力を得ながら、お互い無理のない様に頑張っていきましょうね。
    油井さんが頑張るなら、私も頑張って生きていきます。
    活動再開、ありがとうございました。

  7. necopinoko より:

    はじめまして。妊娠高血圧の記事を検索していて、こちらの、1年前の記事を見つけて、あまりの衝撃に涙が止まりませんでした。思うことがあり、はじめてコメントさせていただきます。

    私の父は、私の母とは再婚で、前の奥様とは死別でした。早期胎盤剥離で娘さんと同日に奥様を亡くしたそうです。
    父は多くを語りませんでしたが、臨月でもうすぐ生まれる予定だったお子さんとは(亡くなられてから)対面をしたそうです。
    母には「(赤ちゃんは)俺に似ていた」と話したことがあるようです。
    奥様は、亡くなられた当日まで仕事に行っていて、急だったそうです。
    駆けつけた時は病室は大変な状態だったそうです。(思い出してしまう表現になってしまうかもしれません、申し訳ありません。)

    私の家の仏壇には、若い女の人の遺影とお位牌があり、お墓参りに行くとお墓のとなりに小さなお地蔵さんがいて、私たちきょうだいは物心がついた時から「A子おばちゃん」「B子ちゃん」と呼んで毎日お仏壇に手を合わせ、お墓参りをしていました。
    父の家族だったということは小学校の高学年ぐらいになってから知りました。お父さん、かわいそうだったんだな、と思いました。

    亡くなった赤ちゃんは、私のお姉さんに当たりますね。その子が生きていたら私たちは生まれていません。
    不思議な気持ちがします。

    私の家では、なぜか家の中全体が亡くなられた方を受け入れていたという感じで、その方の遺品のレコードを聴いたり、画集を見たりして育ちました。それもだいぶ大きくなってから知りました。

    私自身は妊娠高血圧(高血圧合併妊娠)で、救急搬送で早産をしましたが、その時、父方の親戚と母は、何十年も前のことを思い出して、凍りついたということでした。

    父は50代で亡くなりましたが、
    父と、A子さんとB子ちゃんが守ってくれた、と母に言われます。私もそう思います。

    私は父の前のご家族のことは生活の中にあって、一緒に生きて来たという感じがしています。亡くなられた2人の法事も、父と合同ではありますが家族で続けています。

    母と再婚するまでは、父は自暴自棄になっていたので、命を絶たないように父の親兄弟が常に見守っていたそうです。
    父は私たちをとてもかわいがってくれました。姉がうまれた時は「Aちゃんありがとう」と泣いていたそうです。
    新しい家族ができても、亡くなった人を忘れることはないし、父は亡くなったご家族のことを一人で考えることもあったと思います。

    父のはじめのご家族が亡くなられたのは50年以上も前のことです。お医者さんに「胎盤剥離」と言われ、父の姉たちは、病院を訴える!と怒ったそうですが、争い事をしても亡くなった人が戻るわけでもないから、と、闘うことはしなかったそうです。

    こちらのブログを拝読して、父の時と全く同じ・・・ということに衝撃を受け、泣きながら読みました。
    父の家族が亡くなったのは、今よりも医療が発達していない昔のことで、しかも田舎でしたし、不運だったのだと思っていたのですが、
    胎盤剥離が50年以上たった現在の医学をもってしても、防ぐことも救うこともできない症状であるということにも驚き、とても悲しい気持ちになりました。

    長文すみません。

    命は不思議なもので、意味があって、どこかできちんとつながっているような、そんな思いがありコメント残させていただきました。

    油井様は、大好きだった私の父と同じ境遇にある方なのだと思ったらスルーできなくて・・・
    頑張ってくださいとか、生きていればいいことありますよとか、そんな簡単に言えることではないのはわかります。
    亡くなられた方から命をいただいて、私は生きています。

    活動、応援しております。

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