今年から背中ドラムのワンマンバンド楽器を使い
本格的に活動しているのですが
もともとはドラマーです。
ドラムの講師もしておりました。
先日、そのドラムで
6年半続けてきた
「ヱンデヰストピア」というバンドのドラムを辞めてきました。
ヱンデヰストピア(えんでぃすとぴあ)
女性ボーカルのロックバンド
YouTubeリンク
https://youtu.be/ae_P1NLPf0M
山梨県のコンテストで優勝したり
北海道から大阪までバンドでツアーしたり
iTunesでも配信されたりしていたり
活発に活動していたのですが
ドラムとしての枠をはみ出してきた僕は
2016年11月7日のライブでドラムを辞めるという決断をしました。
これからはワンマンバンド楽器奏者、同時演奏家、音楽パフォーマーとして
活動していきます。
この6年半を見てみると
背中ドラム、ワンマンバンド楽器に至るまで
だいぶドラムという枠をはみ出したい気持ちで溢れていたのがわかります。
僕のドラムスタイルに絞ってバンド時代の6年半を遡ってみます。
2010年2月頃
この年
途中加入でドラムのメンバーとして加入した僕は
即北海道、仙台などのレコ発東北ツアーへ
前任者のサポートドラムの方は上手いしドラムの構成も上手かった。
その音源で完成されたCDを発売しにツアーに行くわけだから
あんまり余計なことはできないと思っていたんですね。
なので、との時ばっかりはコピードラムで普通のドラム徹して猫かぶっておりました(>_<)
若い。
2010年5月
しかしある程度このツアーが終わり
落ち着くと
スタジオ練習で
ブラシやティンパニー叩くマレット使ったり
スティックに変えて
竹刀を持ち始める!!
スティックで叩かなきゃドラムじゃないぜ!!
なんて固定概念覆したかったんだ。
スティックサイズの竹刀も使ってました。
素材は竹刀そのもの。
ゲームで例えると
敵の弱点を見抜いて短剣とロングソードを使い分ける感じ。
2010年8月
タムが付いているとこに
ボンゴを刺してドラムと同時に演奏する。
Aメロでスティックぶん投げて
手でボンゴ叩いて
サビでステッィクに持ち替えて戻ったり
左手でドラム叩いて
右手でボンゴ叩いて
ドラムとパーカッション同時にできたら新しいじゃんってね!!
ただ、PAの方はバランス取るの大変だったでしょう(>_<)
2011年
この年は震災で
僕の田舎が福島で農家だったり
いとこが被害の大きい石巻市だったり
更に両親の不慮の事故があり
正直ドラムどころではなかった。
2012年5月
加入して2年
月に2、3回はがっつりライブをしていたので
上手いドラマーさんともたくさん出会いました。
僕も負けないように
毎回最高のライブができるように
自前のスネア、ペダル、ハイハット、シンバル
など持ち込んでドラムを叩いてたのだけども
「いや、本当に上手いドラマーは喫茶店のテーブル叩いても上手いはず」
と
機材全部持ってくのやめました笑
僕らの界隈のドラマーは最低限スネアとペダルくらいは
自前で持ってくるのがほとんどですが
結構大事なオーデションライブとかでもそこにあるドラムセットで叩く!!
スネアの皮がベコベコだろうと
ペダルのビーターが急に外れようと
関係ねぇ。
いや、タムもシンバルもいらねぇ。
最終的には
バスドラ
スネア
ハイハット
シンバル一枚
この4つだけでライブをしていた期間もあった。
ただでさえ少ないのに
曲中でボーカルの沙知奈さんがそのシンバルが取り外しに来る
という奇想天外なコンボ技もあった。
2012年6月頃
和音出したい欲求に従い
キーボードとドラム同時奏法を編み出す。
左手キーボード
右手ドラム
サスティーンペダル踏めば
和音でロングトーン鳴らしてる間に一瞬両手でドラム叩けるし
足技が重要なら
ドラムをやってる利も活かせる!!
ベースを担当してるキスケ君が諸事情で半年くらいベースをお休みしてる間
僕がキーボードでブリブリのベース音出して
ベースアンプにつないで
右手ドラムで
完全一人リズム隊をやったこともあったなぁ。
これでキスケ君がいない間も本メンバーの3人で持つか?
とも思ったけど
実際は嬉しくもやっていただけるサポートベースの方が
たくさんいらっしゃったので
スタジオでの実験演奏のみ。
ベースライン覚えて
ドラムとの組み合わせはぶっつけでも一応一曲通せたから
極めれば新たな同時演奏を見出せたかもしれない。
のちにキーボードからピアニカにも着手。
キーボードと二段並べて小室哲也のようにしたりしてました。
実ははじめにスタジオで実験したピアニカは
小学校の時に授業で使ってた思い出のピアニカ。
2013年頃
ドラムとのコンボ技を提案しまくる。
先ほどのシンバル取っちゃうやつもそうですが
ドラム一人ではできないことを
ボーカルにやってもらおうってパターン。
僕が鍵盤両手でピアニカやってる時に
ボーカルがシンバル叩く。
僕はバスドラとハイハットを足で操作。
シンバル叩いてもらうコンボ
ボンゴ叩いてもらうコンボ
バスドラ反対側からドコドコ連打してもらうコンボ
ハイハット操作してもらうコンボ
そここら次につながる面白コンボ技を編み出す。
2014年9月
エコツインドラムはじめました。
エコツインドラムとは
ハイハットスタンドとかフロアタムとか
必要だったけど、バスドラをシェアすることで
ワンセットでツインドラムが可能になるという優れもの!!
ただし借り物のバスドラの表ヘッドは換えないと
大人に怒られる(>_<)
2014年頃
ここにきて
自分はただの邪道的なドラムを叩いてるだけで
基本的なことは叩けてないのではないか?
と不安になる。
ここで水面下で必死に基本のドラムをおさらいした。
人の何倍も
絶対に間違いなく基本を教えられる自信がついたので
油井ドラム教室を開校する。
更にその生徒さんが自由に演奏発表できる場所と
個人的にいろんな人種の上手い人を見てみたいため、新たな刺激を求め
年2回2、30人規模のセッションの主催者を務める。
2015年頃
買ったばかりのドラムセットをぶち壊して背中に背負いはじめる。
足だけで叩ける座るタイプのドラムなど
いろいろアイデアを持ってきまくる。
2016年
背中ドラムが正式に完成し
歩きながら路上ライブができるお散歩ライブをしだす。
今にいたる
どうですかね。
これ見ると
はじめから普通のドラム叩く気ないですよね(^ ^)
多分このバンドでドラムを今後も続けたら
いままで以上に変なドラム持ってくるだろうし
かといって普通のドラムに戻れるかと言ったら戻れない。
脱退する理由は
僕が普通のドラムを叩けない変態だからです。
今年はほとんど手でドラム叩いてないですしね笑
他にも少しの理由として移動リスクなどもあります。
都内活動なのに僕だけ千葉県木更津在住なので
ただの練習だけでも車移動で高速道路を使うために
スタジオ代とか抜きで
往復7000円で6時間かかったりします。
そんなのを言い訳にしないため
弱音を吐かないため
それを超えるやりがいを求めるため
都内で油井ドラム教室を開講したり
これまた都内でセッション主したり。
ぶっ飛んだドラムを求め続けたのも
移動リスクに対してやりがいを求めるが故だったのかもしれませんね。
そんなのもあって
今後続けていくには
・もっとぶっ飛んだドラム、アイデアを持っていくか
・抑えてちゃんとしたドラマーに徹するか
この二択になった時に
・これ以上ぶっ飛んだアイデア取り込ませるとメンバーにごちゃごちゃして申し訳ない
・でももう普通のドラムでは叩けない。
と、どちらも厳しくなったので
脱退することなりました。
総じて言えることは
ここまで自由にやらせてくれたメンバーへの感謝です。
竹刀持った時点で
「いや、あんた普通に叩いてくれ」
って言われたらそこで辞めてたかもしれないし
足だけでドラム鳴らす構造を思いついた時も
「ちゃんと手使って叩いてよ」
と言われたらそこで終わっていたし
ドラムに対する探究心や思考自体もそこで止まっていたかもしれない。
もともと変態ドラマーであったと思うけど
ここまで変態に仕上がったのは
メンバーのおかげです。
(嬉しがってるのよ)
サポートや研究のためにドラムを叩くことはあるかもしれませんが
もうドラムのメンバーとしてバンド活動することはないでしょう。
これからは唯一無二の音楽パフォーマーとして
ドラムの枠を壊してパフォーマーとして突っ走っていきます!!